カムダス☆ドロリス

エッセイといふものに憧れたオタクの成れの果て

TOX2(兄弟)について語る ※ネタバレ

この記事にはテイルズオブエクシリア2のネタバレを大いに含みます。ネタバレ困る方は見ないように。






テイルズシリーズは昔から好きなのだがエクシリアシリーズはまた格別である。そこそこ古参ながら、そこそこ新しいこの作品には深い思い入れがある。
テイルズシリーズそのものの歴史を辿ればなんてこともないが、エクシリアだってもう発売から9年も経っているではないか。

エクシリアは普通に発売日にプレイした。いつも通りに一週間弱でクリアした。最初はジュード編、次はミラ編と実にメジャーな手順でプレイした。
ファーストプレイはいつもそうなのだが、基本的に無感情である。ストーリーもそこまで気にせずプレイする。どのみちファーストプレイでストーリーのすべてを理解するのは不可能なのだから。

一年後、エクシリア2が発売された。
こちらは少し遅れてプレイしたのだがこれにはぶったまげた。

なんだこの重いストーリーは…。

ファーストプレイの「とりあえずクリアしなきゃ」を第一にした無感情プレイをしたくとも、無感情になれなかった。
いや、最初はまだよかった。
いきなり見ず知らずの幼女に痴漢冤罪をかけられても、闇医者に多額の借金を負わされても「ああ今回はそういう話ね」としか思わなかった。
主人公の兄と訳ありげなガタイのいい社長のいる会社も、前回切なく退場したはずのアイツが当たり前のように再登場してもなにも思わなかった(むしろ嬉しかった)。
パラレルワールドの破壊という物語中の主人公の大きな役目すら、私は平然と受け入れた。某平成10作品目ライダーみたいだとかいう感情は、声優さんのおかげで前作ですでにあったのでさほど問題なかった(キバットきょうだい…)。

心が揺れたのは、chapter8だった。
分史世界のキジル海曝。ここで主人公ルドガーの兄、ユリウスが岩に座り、鼻唄を歌っている。
『証の歌』という、主人公の一族に伝わるという曲だそうだ。メロディーラインは美しくも切なく、やや暗い。詞がなくともわかる、悲しい使命を示唆する歌。
その際の兄弟のやり取りや、一族の宿命、やってきたこと、それらを感じることとなり、私は切なさを覚えた。
心のどこかで、この兄弟は幸せになれないんじゃないかと、そう感じていた。

案の定話が進むにつれ、事実が次々発覚していき、その宿命の重さに戦慄するのだが…
ドガーに、それ以上にユリウスに感情移入した私には、その悲しい運命が受け入れ切れなかった。
前作のエクシリアからやってきたのに、ルドガーのあの仕様のおかげで私の心はルドガーと共鳴(リンク)してしまい、兄を犠牲にすることを厭わない仲間が憎らしくさえ思えた。

彼らの家族のことも知っている。ジュードは父親が元アルクノアで、エレンピオス人で……エリーゼは両親を亡くしている。アルヴィンなど、一昔前よくやってたフジテレビの昼ドラのごとき人生を送ってきている。

でも、それがなんだ?
ドガーにとっての家族は、ユリウスだけだ。
母親は故人、父親はあの様だ。未来の娘も確かに大切だけど、これから起こる事なんてのは『今』の自分の選択でしかどうにもならない。
でも、過去は。過去だけは確かで、揺るがなくて、消せないもの。その瞬間があったからこそ『今』の自分が存在しているのだ。

だから……。

「私」が感情移入した「ルドガー」には、ユリウスの大切さが一番にある。
終盤までくれば、ユリウスがどれだけルドガーを想っていたか痛いほどわかる。
世界より、未来の娘?より、ほんの数ヵ月(くらい?)の仲間より、
年端もいかぬ少年時代からずっとそばにいた兄だ。
人の人生で最も尊い青春時代を、一番近くで見てくれていたのは兄ユリウス。
まだ20歳のルドガーにとって、一番そばにいて近くて大切でかけがえないのは兄ユリウスではないのか!?
※感情移入で熱くなっているが私の実年齢はこの時点でルドガーを超えてる


その上での、所見バッドエント…………そして敗北……。



はい。
ゲームはゲームです。
感情よりシステムやステイタスの数値が勝ってしまうのは当たり前。
仲間達に袋にされた私はようやく冷静になり、グシャグシャになった心をなんとか落ち着かせた。
その日、平日なのにな何故か家にいた母に「今からゲームクリアするから部屋に入ってこないでね」と告げ、バッドではないエンディングへ向かった。

心は苦しかったが、ここで「とりあえずクリアしなきゃ」の気持ちが戻り、辛くも正規のルートへ進んだ。

カナンの地(ラスダン)でイライラしつつも、トゥルーエンドを見ることに成功。ノーマルエンドも見る。
それらにも思うことはあるがまぁ割愛。

セーブデータを呼び出し、ステータスを強化し、戦略を練り、再びバッドエンドに挑戦。

そして迎える「血まみれの兄弟」。
いわゆるバッドエントなのだが、私にとってはこれこそがトゥルーエンドだった。
ドガーの顔についた、仲間の返り血が生々しい。
それでも笑顔で、兄を抱き締めるルドガー。それを抱き締め返すユリウス。
二人の心は、もはや崩壊しきっているはずだ。ボロボロで粉々で、それでも形のない光が、静かに暖かく灯ってる。そんな状態。
残り少ない時間を、二人だけで、終わりかけた世界で、過ごした時間だけは、物語のとこよりも尊く愛おしいものだった。間違いない。

このエンディングを見たあと、あまりの悲しさや切なさ、そして尊さに一晩中泣いた。
そしてある曲が頭に流れた。
主題歌を歌う浜崎あゆみの曲『July 1st』。
イベントの場所が港で、海が傍にあったこと。キジル海曝も、海。だからこそこの歌が、やけに沁みるのだ。

明日晴れたら、あの海へ行こう
昨日流した涙の痛みを、優しさに変えて

前作の時点では、エレンピオスに海はなかった。自然は消え失せた土地だったから。
それが、このような大きな決断と別れ(罪)の生まれる場所が海だったのだ。

寄せて返す 波音に
全て洗い流される

あのエンディングの後、ほどなくしてユリウスは亡くなったことでしょう。ルドガーも、大量殺人の罪で死刑になるか、兄を追って自害するか、とにかく明るい未来でないことは明白です。

それでもこの選択が正しかった。二人はそう思いながら今生を終えたのだと、そう信じてやまないのです。